なぜ不登校は増えているのか
わたしが小学生の頃は、クラスにとんでもなくだらしがなかったり、机の中がグチャグチャだったり、勉強はろくにできず、給食と走るのだけは得意というような子どもがいました。病気で車いすにのってお母さんと一緒に登校している子どももいました。
とくに仲良く友達になるわけでもなく、かといっていじめたり、コソコソ噂話をしたりするわけでもなく、「そこにいる」というだけでクラスに存在していました。それで別によかったのです。
最近はきっちりと勉強してドリルを提出しなければならず、忘れ物をすると怒られ、回数を数えられ内申点に響きます。字も、書き順正しく、トメハネもちゃんとしないと、「受験の時に困るから」という理由で指導されます。
SNSでは友達に気をつかいながら返信の言葉に悩んだり、既読がつくかつかないか、スルーされてるんじゃないかと気をもんでいます。昔のように、玄関で「遊びましょ」とお誘いをかけるのは迷惑になるのでご法度です。大変な時代になりました。
学校も社会も、随分と変化しているように感じます。
ちょうどうまく「学校のシステム」にはまる子どもでないと行けなくなる。学校に行ける子どものストライクゾーンが狭くなっていると思います。
どっちかよかったのかはわかりません。でも不登校の子どもが増え、さらに格差社会となり、子どもや若者の自殺率は高く、日本のGDPは後退しています。
学校は豊潤な森のように、いろいろな動物がすみ、多様な植物が生い茂り、それぞれがそれぞれの役割を果たしながらうまく調和しているような環境であってほしいと思います。
それが「インクルーシブ」という言葉になるわけですが、昔は「インクルーシブ」と言わなくても「インクルーシブ」な状態であったのです。声高々に「インクルーシブ」をさけばないといけないということは、「インクルーシブ」な状態にないということだと私は思います。
単に昔の方が良かったというわけではありませんが、今の子どもたちがおかれている困難な状態は、おとなの私たちも知っておくべきだと思います。こういった社会を作り上げたのはわたしたちなのですから。